2016年4月23日土曜日

耐えられない眠気の話

ご無沙汰しております。
例のデートの一件を書いた後、バッタバタして忙しかったのとchromeをメインに変えたらブログのブックマークがどこかに行ってしまい、このブログの存在をすっかり忘れておりました。
ウソです。ただ忙しかっただけです。

そしてあろうことか前回の投稿のリピドーさん本人がこのブログを見つけ出して読むという恐ろしいハプニングも先々月に起こりまして、もうしばらくは自分の性生活を赤裸々に綴るのは止めよう!と決意していたのでした。
前回アレコレ書きましたが、リピドーさんは芯の通った、茶目っ気に溢れた知的で素敵な女性です。外見を形容詞で判断するのはルッキズムに迎合するようで避けたいのですが、ビックリするぐらい私のタイプです。そのうち許可が下りたら彼女とのその後の関係について詳しく書くかもしれません。
というわけで、セックスネタは続けるかもしれませんが、セックスアンドザシティの踏襲という名のパクリは残念ながら諦めます。相変わらず元気にやってますので、日々の生活の詳細を知りたい方は直接どうぞ聞いてください。


そんなことで、皆さまの興味はぐっと減るかと思いますが、本日は私が幼い頃からずっと抱えてきた眠気について書こうかと思います。


私は人の数倍、所謂「居眠り」をします。居眠りというか、日中(特に午後)にどうしようもない眠気に襲われます。ルーティーン化された日常の中では、ほぼ毎日、ソレはやってきます。場所・時間を選びません。空気は読みません。前日に12時間寝ようが、4時間睡眠だろうが本当に関係ありません。むしろ少ない睡眠時間の方が強制終了しないんじゃないか、という具合です。
そもそも初めて眠ってはいけない場所で寝たのは、小学2年生の時でした。
ちょうど新学年が始まって、学校で過ごす時間が増え始めた頃のこと。午後の5時間目の授業で突然とてつもない睡魔に襲われた私は、抵抗も虚しく、算数の授業説明が段々と遠のき、気がつけば寝ていました。授業終わりの合図のガタガタと騒がしく椅子を引く音と同時に、隣に座っていた男子が私の左肩を揺すり、「大丈夫?○○さん、先生が心配してたよ?具合が悪いのかい?」と声をかけてくれたことを今でも鮮明に覚えています。2年生の4月の時点ではまだ居眠りをするほど授業内容に怠屈は無く、寝起きの私を覗き込んだ彼の実直な目は、真摯に心配をしてくれていたんだと思います。それでもクラスメイトが当たり前に起きていられる授業中に意識を飛ばしてしまったことへの羞恥心から、その日は言葉を濁して逃げるように家に帰りました。

その日から今日に至るまで、奇襲を仕掛ける原因不明の睡魔と私は日々闘っています。日々、というのは淡い言い方で、ほぼ毎日です。ハッキリ言って、生活に支障をきたしてます。でも、どうしようもできません。
子供の頃から親に、本当にあんたはどこでも寝れる子だねえと妙な褒め方(あるいは嫌味か)をされてきましたが、高校・大学・仕事と集中力が求められる場面ですらも記憶が突然途切れてしまうこの妙な体質に、ずっと悩まされています。コーヒー・レッドブル・ミント・ガム、どんな対抗手段をとろうが焼け石に水の如く、眠気が訪れると最低でも10分から20分目が閉じます。引きずられる意識を取り戻そうとする時、周囲への集中力は必要最低限以下になります。つまり何が周りで起こっているかを認識できません。「眠くなったら椅子に座りなおしてシャキッとするといいよ」だなんて無駄なアドバイスをくれた友人がいましたが、自分を平手打ちしようとライターで手に火をつけようと、私には全く効果はないのです。

10年戦争ならぬ、20年戦争と呼ばれるに相応しい対眠気との攻防戦は、アラサーとなった今も収まる様子を見せません。それって単なる居眠りとどう違うの?と疑心暗鬼な読者のために、場所も選ばず抵抗も虚しいというのがどういう意味なのかを、これまでのバトルシーンを回顧しつつ説明していこうと思います。

1.小学校高学年、月曜朝の全校集会、日本。
 全校生徒が毎週月曜朝に校庭に整列し、校長先生サマのありがたいお言葉を頂戴する儀式中。夏にはドサっといきなり倒れる児童、つまりは熱中症の子が頻発するくらいに長い校長の話。高身長なので毎回1番後ろか2番目で並んでいた私は、たまにその場で立ったまま眠ってしまい、前につんのめって人の頭や背中によくぶつかっていた。
  
2.6年生、アメリカのミドルスクール時代の数学のクラス
 授業中に眠りこけ、先生に怒られる。「立ちなさい!」と言われて立ち上がるも、立ったままでも眠り続けたため、先生大激怒。授業後に親に電話が行き、親にも怒られる。でもなぜか居眠りが「授業が簡単すぎるから」と読み替えられ、上のクラスに入れてもらえた。

3.9年生、金管バンドのコンサート中
 合奏の練習中に眠りこけて楽器を譜面台にカーン!とすることはあったけれども、おそらくこの時に初めてステージでの演奏中に眠る。
周囲に座っていた人は、それぞれ演奏するのに忙しくて気づいてなかったけれど、指揮してた先生は絶対に気づいてたはず。マーチングバンドの野外での練習中にも(お察しの通り、歩きながら演奏する練習でも)よく眠って楽器を落としかけたこともある。

4.大学受験
 それでも受かった。1時間を超える試験では必ず眠ってしまうため、SATや期末試験・検定試験は他の受験者よりも20分ほど試験時間が短くなるというハンデがある。

5.首都高
 事故らなかったのが不思議だけど、どうしようもないときは高速を降りてコンビニまたは路上で休憩した。時間がないときは禁煙車内だけどチェーンスモーキングで乗り切った。(ニコチンはアッパーです)

6.仕事の大事な商談中
 自分が喋れず相手の話が長いと、スイッチが切れる。ボールペンで手の甲をブスブス刺したり、どうしても酷いときは途中で立ち上がって紛らわす(とはいえ紛れない時も多々あった)

7.上司の運転する車内
 人の運転する車は、相手が誰であろうと眠くなる。緊張感は睡魔を勧誘する困った感情である。

8.上司との個人面談
 普通眠くならないだろう!という時に眠くなるんですよね。途中のトイレ休憩あるいは印刷物取ってきますは日常茶飯事でした。あるいは上司っていうものがトリガーになる要素だったのかもしれない。

9.祖母の葬式
 祖母の手を握って看取ってから48時間くらい泣き続けていたのに、式の最中に一度意識が飛んだ。ちなみにその前夜も十分過ぎるほどに睡眠は取っていた。

10.オペラ
 興味はあるし、興奮して席に座るのに、心臓の鼓動とは裏腹に観劇類では必ず1場面見逃す。


運転していても、立っていても、座っていても、誰が横に居ようとどんだけ緊張していようとお構いなしに寝てきました。仕事をしていた時は、会社で眠くなった時には必ず別階のトイレか社用車内に昼寝をしに行ってました。これは本当にもう尋常じゃなく病的なレベルに寝てしまう状態なんです。他の人はここまでひどい慢性的な睡魔に襲われることはない、というのは最近気づいたことですが、それと同じようにこの「睡魔」は私にはどうにも出来ない・防ぐことのできないものなんだと諦めたら楽になりました。

でも実は日中の睡魔だけでなく、夜寝る際にも奇妙な症状があります。

「入眠時幻覚」です。
言葉通り寝入り鼻に酷い幻覚に襲われることです。これは週に1~3回程経験しますが、他の人と寝ている時は滅多になりません。(とは言え、長いこと同棲していた時には当時の彼女と一緒に寝る緊張感が薄れてきた頃から再発した)
幻覚と言うと怪しい響きがありますが、つまりは酷い悪夢です。自分が寝てしまったことに気づかず、起きていると思いながらも寝ているため、非常に鮮明で感触の悪い夢を見ます。しばらくするとヒイイイ!っと息を飲みながら飛び起きて、寝付けなくなります。が、時折再びその不快な幻覚に引きずりこもうとしてくる睡魔に襲われ、悪夢を見ては起き、また苦しんでは起き、の暗黒パターンに陥ることも。幻覚に見るのは特定不能な人間または黒くて怖いモノ、であることが多いです。その誰がが私にのしかかったり、話かけたり、引きずろうとするのはもちろんのこと、寝ている私の横で泣きだすとか刃物で遊ぶとか、とにかく私が不快になることをしてきます。私は(夢の中で)動ける時もあれば、金縛り状態で微動だにできないこともあります。
幼い頃からこの幻覚というか悪夢を見てきたので、15歳くらいまでは自分には霊感があるものと思っていました。妙に現実味のある、苦しい夢なのに「悪い夢をみたんだね、よしよし、テレビの見過ぎだね」で片づけられてしまうことがイヤで、滅多に人に相談することもなく、今に至るまで昼間の睡魔も含めてずっと無いものにしてきました。昔同棲していた彼女は、ハードワークでストレスが溜まってるんだねと、この入眠時幻覚は仕事のせいにしていました。仕事を始める前から見ていた幻覚なので、ストレスとは関係ないところにあったと思うのですが、夜中に何度も飛び起きて(恐怖で)痙攣し始めたり叫んだりする人が隣に寝ていたら、そっちの方がストレスだっただろうなあと少し気の毒にも思います。


日本に帰って時間とお金に余裕があれば、いつかは睡眠外来にでも挑戦したいと思うのですが、しばらくは無理そうです。おしまい。

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