幸せ過ぎてニヤニヤが止まらないので日記を残しておくことにしよう!うしし。
思えば7年前の今頃、初めて兄のパートナーに会った。今頃っていうか、大晦日の日。わたしは受験を控えていたので、家族旅行には参加せず実家でひたすら勉強の日々。兄は部活が忙しいとかで、ヤツもキャンセル。
そしたらなんか、付き合いたての彼女連れてきたの、あいつ。信じられる?
空気を読めないのは私か、それとも兄か。
こっちは勉強するっつってんだろ!ラストスパートなんだよ!と思いつつも、溢れる妹ホスピタリティでメチャクチャ詰め詰めなキリタンポ鍋作った。
年末と言えば鍋でしょう?
その彼女と何話したか全く覚えてないんだけど、髪の毛がピンクで真っ白な獣のジャンパーに緑色のたっかーいハイヒール履いてきてたのは衝撃的だった。
こいつ、ただもんじゃねーな!と思った。
家族全員、高校のころから兄はゲイなんだと思っていたので、彼女を作ったことすら驚きというか、あれお兄ちゃんて女の子好きだったんだ〜とか呑気なこと言ってた気がする。彼女がいることが判明したのも、その1ヶ月前に兄の部屋を掃除していた母がディズニーのレシートを見つけたのがキッカケ。
ねぇ、大変!みて!お兄ちゃんてディズニーとか1人で行くと思う?って聞かれて、えー、男同士で行ったのかなー、やっぱゲイかなー、とかって盛り上がってた。
なんてゲイフレンドリーな我が家。ゲイフレンドリーてか、カミングアウトされたらなんて言おうかとか母と話し合ったこともあった気がする。
問い詰めたら女の子だと分かり、(私は)ガッカリ。
彼らはその後5年くらい交際してたらしい。たまのクリスマスに帰省すると、兄が彼女に渡すアクセサリーのカタログなんかを読んでたりして、あーまだ付き合ってるんだーって、その程度。キリタンポ鍋の冬以降あんまりその彼女と交流することもなかった。実は母とか祖母と3人でよくランチしたり、祖父母の家に兄と2人で遊びに行ってたらしいけど。あたし呼ばれもしなかったんすけど!
母も祖母も、なんというか、兄と付き合うてことは相当の変わり者だし忍耐力があるんだろうって、気に入ってたみたい。
私が働き始めた最初の冬、母経由で籍を入れて結婚すると聞いた。兄がまだ院生の時。
翌年、兄が働き始めた4月に2人一緒に大阪に引っ越して、新婚生活が始まった。
入籍してから1年後、東京で彼らの結婚式に出席した。個人的に結婚式に関しては複雑な思いがある、もちろん。わたしは婚姻制度には反対だけど、でも結局のところそれを選ぶひとがそれで満たされるなら別にいいやってスタンス。
それに、1番近い肉親の結婚式に参加して、どうイエ的なものが反映されてるんだろうかってのも知りたかった。
ヘテロセクシズムとカップル主義とイエとイエの統合的な要素はそれはそれは濃厚で、確かに疲れちゃったけどね。
余談だけど、新しく買った青いスーツとヒョウ柄のシューズでバッチリ決めて行ったら、その写真を見た今は亡き最愛の祖母が後日、あんたが1番カッコ良かったね、と言ってくれたの。結婚式と全然関係無いけど、泣きそうになるくらい嬉しかったなあ。
祖母は、78歳で別居したDV夫の祖父が出席したので、式を欠席せざるを得なかった。イエ的なイベントで優先されるのはいつだって男なんだ。祖母は、クソDVジジイと違ってどんな時もあたしたち兄妹に愛情注いでくれたのに。この件に関しては、少し兄を憎んでる。祖母はちょっと悲しそうだった。
そんな結婚式から2年経って、今日姪っ子が産まれた。まだ写真でしか会ったことが無いけれど、きっと目に入れても痛く無いくらい可愛いんだろうな。
今じゃすっかり両サイドから嫌われ者の上野千鶴子サンが、その昔ご著書の中で「子どもを産むことは差別の再生産に他ならないって」書いてたのをよく思い出す。彼女の議論も一理あると脳内の私は言う。けれど心の中の私は、なんて無慈悲で母親や妊婦を疎外化する議論なんだ、とも思う。
それでも姪が産まれる前から考えていたことがある。
それは、子どもを取り巻く環境因子を完全にコントロールすることは出来ないけれど、私がその環境因子の1つとして別の影響を与えることならできる、ということ。
今後私が彼女に買い与える、「女の子らしさ」を疑問に付すプレゼントや洋服の数々、そして大きくなったときに包み隠さず分かりやすく伝える世の中の不平等の話。そんなことを想像するだけでちょっと楽しくなっちゃう。ふふ。
世の中の大人が、彼女にリカちゃん人形を買い与えるのであれば、私はトミカのブルドーザーセットをプレゼントしよう。あるいは、総理大臣でフェミ二スト、ショートヘアに一重でパンツスタイルに胸の薄いカスタムメイドのリカちゃんを届けよう。
歩き始めた時は、真っ白なレースの付いた靴の横に、ベビーサイズのVANSのスリッポンを置いておこう。
幼稚園でシンデレラや白雪姫の絵本を読んだあとには、東京農大へ進学し青春を青首大根の栽培に注ぎ日本でオーガニック革命を起こすダイコちゃん(架空のキャラ)の手作り絵本を読み聞かせよう。
中学生になって、アイドルのPVを見て細い足に憧れるなら、ベスディトー率いるgossipsのライブ映像を見せよう。ボディイメージの話をしよう。
不登校になったら、別に学校に行かなくても良いからその代わり叔母さんと遊ぼうぜって、ソウルに食倒れツアーに連れて行きたい(平日ツアーのほうが安いし)。
高校生になって、なんでおばちゃん結婚しないの?って聞かれたら、聞かれなくても、天皇制とイエ制度にクィアと同性愛の話をして、そんでもってトゥーマッチプッシーを見せよう。
今、恋人もいないからこういうことを考えるのかもしれないけど、自分以上に愛せる存在として、子どもって絶対的な存在。
つまり、自分を犠牲にしても愛したいとか護りたいとおもう魂は、自分の1番身近にいる子どもな気がする。今は私自身が子どもを持つ予定も無いし、その確率は今後も格段に低いから、それは今後も兄の子どもであり続けると思うけれど。
親兄弟や友達への愛情とは違う、もっと永遠で一方的な愛情が今日芽生えた気がする。
彼女が出来ると、なんだか毎日ドキドキして嬉しくってジェットコースターの乗り始めって感覚があるんだけど。
今回姪っ子の誕生って、嬉しくってドキドキするんだけど、ジェットコースターっていうよりは突然現れた裏庭の梅の木のような、自分とは永遠に切り離せない喜びって感覚があるよ。
とにかくまあなんと言うか、嬉しいんです。